
なんでもいいから文章を書いてみたい。
俺はあなたのことが好きというだけで死んだり生きたり出来るよ。それが青春なんだよ。俺は青春を後生大事にしつつボコボコに殴りながら、人生を駆け抜けたいと思う。俺は青春を誇りに思おう。俺こそが世界で一番リア充だ。「リア充爆発しろ」って言ってくるリア充が一番爆発しろ。中途半端はやめろ。ものすごくリア充か、ものすごく非リア充になるんだ。でないと何も生まれない。
何かを生む必要なんてあるんだろうか。俺は曲を作って歌う時が一番生き生きしてる。新鮮な、水を得た魚のようにぴちぴちしている。たまたまそれが俺に一番合った生き方ってだけだ。安定のままに人生を終えるのも、俺には全く想像出来ないけど、それはそれで一つの答えなんだろう。俺だって、安定を渇望してた時があった。
だけど、自身の何も無さにウンザリしてきた時には、思いきり不安定の渦に飛び込むしかない。
この間、うみのてのライブを見に東京に行った。高知から来たと言うと、感動された。高野さんが「高知から、ってなんかじわじわくるな」と言っていたので間違いない。
ステッカー貰ったりCD貰ったり光るやつ貰ったりサイン貰ったり、色んなものを貰ってしまった。写真も撮らせてもらった。やばい。笹口さんも高野さんも優しい。心から感謝をせねばならない。
そして、ライブは最高だった。笹口さんは、まるで何かに取り憑かれたようにギターを弾いて歌っていて、カッコ良かった。普段の緩い笹口さんとは全然違う。高まった。全力で乗った。2つ隣の男も全力だったので、それに負けじと身体を動かした(後日、その人にツイッターで話しかけられて、「高知から来た少年に負けないように熱く踊りました!」と言われたので、互いに高め合ってたことになる。素敵)。
「笹口さんは僕の青春です」みたいなことが延々書いてあるキモいラブレター(笑)を笹口さんに渡したのだけれど、そのことについてMCで触れられた。
「高野くんは青春どうだった?」
「毎日死にたいって思ってたよ」
そんな会話。嬉しかった。高知から来た甲斐があった。甲斐あり過ぎ。笹口さんも高野さんも、今が青春なんだろうと思う。だって、笹口さんの叫びには感情がこもってるし、高野さんはあんなに楽しそうにギターを弾いているんだもの。他のメンバーも、影薄過ぎてあんまり知らないけど多分青春してるよ!
本当に、うみのて見れて良かった。対バンの青森最後の詩人ひろやーも最高でSEXジャンプ決めちゃったし、万々歳。今まで死ななくて良かった。
ライブ後に、笹口さんを抱きしめようと思ったら普通に断られたから、高野さんを抱きしめたら汗の匂いがした。これが青春の匂いだ!!!嗅げ!!!もっと嗅げ!!!
非難し合いたい。
罵倒されて、嘲笑されて、踏みにじられて、突き放されて、恥をかいて、傷つけられて、散々辛酸を舐めて、それでも俺は凄いんだということを信じたい。ただそれだけを、新興宗教のような熱さと勢いで狂信していければいい。それがロックンロールという宗教だ。
「才能ない」なんてうまい棒よりも安い定型文を浴びせられたくらいで夢を諦めるなんて、そんな夢はアッハッハァの大笑い。誹謗中傷を恐れるな。潰し合って殺し合って進化していくのが、真のカルチャー。俺はまだ潰れない。

私は叫んだ。
「ちんこやまんこの存在が重すぎて受け入れられないからと言って笑いに転化するのはいい加減にやめろ!!!!」
教室は一瞬静まり返った後、不思議な空気に包まれた。
「誰だ、あのおっさん?」
「さあ、あたまおかしい人なんじゃないの」
「先生呼んできた方がよくない?」
「やめろおおおおおおおお!!!!不思議な空気の名の元に連帯感を強めるのはやめろおおおおおおおおおおおお」
そしてふと気がつくと母が校長に頭を下げて謝っていたのであった。
「すみませんすみませんどうもうちのたかしが」
「まあ今回は警察に通報しないでおきますけどねえ、あなたこれ不法侵入ですよ?わかってるの?」
「ゴメンナサイゴメンナサイほらたかしも謝って」
ぼくは頭を下げた。しかし一体ここはどこだろう。足元では赤と緑の液体が混ざり合っていて、沢山のミミズがその水の中を泳いでいた。意味がわからない。ぼくは、意味がわからなさすぎて、もしかして元々世界に意味なんてないんじゃないかという気がした。
壁中から顔面が生えてぼくを笑っている。
「ヒャハハハハハハハハー!!!!お前は40年間生き長らえて何を学んだ!?」
「何を成し遂げた!?」
「お前という存在がこの世に生まれたことに何か意味を付け加えることが出来たか!?」
「価値を創造することが出来たか!?」
「達成したのか!?」
「理解したのか!?」
「童貞捨てたか!?」
「うるせええええ!!俺は死ぬまでロックに生きるんだ!!!!!!!」
俺はそう叫んで校長室を飛び出した。あてもなく、どこまでも広がる荒野を走っていった。やがて夕方になった。夕暮れが俺の世界を包み込んだ。荒野にぽつんと寂しく立っている大木の根元に、茶色いコートを着た男が佇んでいた。俺は話しかけた。
「こんなところで一体何を待ってる?」
「別に何も待ってないけど」
その時巨大な青い風が吹き渡った。そして夜が訪れた。
ライオンは夜を徹して獲物を追いかけ、夜空では何億光年もの星々がただいつまでも輝き続ける。限りなく果てしのない大自然。きっとここには永遠がある。永遠に響いて止むことのない音楽が。
俺達はいつまでもそこに佇み、大木のざわめきを聴いていた。そして俺は、彼に別れを告げた。
「俺、もう行くよ。何か大切なものを見つけられた気がするんだ」
彼は笑って手を振った。俺は走り出した。
風よ!!草よ!!星よ!!時よ!!俺に力をくれ!!!!!!!!!!!!!!!
そして辿り着いたのは学校という檻の中。教室では生徒達が、電気も点けずに、お喋りをしながら授業が始まるのをただ待っていた。
「ちんこってさぁまじ素敵な響きだよね」
「俺はまんこの方が好きだけどな」
「でもお前、まんこって言いたいだけだろ?」
「ちっげぇよ。俺は心からまんこのことを愛してるんだよ。お前こそちんこちんこって小学生かよ死ねよ」
「うるせぇな。俺は、まんこよりちんこの方が好きなんだよ……真面目に……」
「お前……」
「なあ、俺とスケベしようや……」
俺は扉を開けた。
そして叫んだ。
「ちんこやまんこの存在が重すぎて受け入れられないからと言って笑いに転化するのはいい加減にやめろ!!!!」
教室は一瞬静まり返った後、不思議な空気に包まれた。
「誰だ、あのおっさん?」
「さあ、あたまおかしい人なんじゃないの」
「そんなことよりスケベしようや……」
「うん……」
AはBのちんちんをくわえて上下にゆっくり動かし始めた。教室中にちゅぱちゅぱぐちゅぐちゅといういやらしい音が響き渡って、教室全体がえっちな雰囲気に包まれた。そんな中、窓際の席で誰とも口をきかず、ただ窓の外を見ていた少女がいた。彼女の名前は城ヶ崎咲子。アメリカ人とのハーフで、サラサラの金髪と並外れた美貌、すぐれた容姿を生まれもっていた。しかし彼女は、その恵まれた容姿故にクラス中の女に嫌われ、友達がひとりもいなかった。男子も、全員ホモだったので誰も彼女に話しかけなかった。
彼女は呟いた。
「世界の全てがくだらない……」
彼女の青春があまりにも暗すぎて、彼女は厨二病を発症していた。それでも薄々気付いてはいたのである。くだらない、と吐き捨てる自分が一番くだらないということに。
そして私は何故、私の人生とは全く関係のない城ヶ崎咲子などという女のことを、わざわざ描写したのか。それは彼女が美しかったからである。ただ単純に。心のままに。
しかし外見ばかりに捕らわれていないでよく考えてみよう、果たして彼女の心は美しいか?断じて否である。彼女もまた、社会に巣食う病魔のうちのひとりなのだ。けれども、私は城ヶ崎咲子と話したことはない。話したこともないような人間の心が、私如きにわかるとでもいうのか?上の一連の彼女の心理描写は全て私の妄想で書いたが、全く傲慢にもほどがあるのである。本当は美しい心を持っているかもしれないじゃないか。そう、たとえば春に咲く花を眺めて「美しい」と言えるような、そんな美しい心が、、、、いや待て、だがしかし、人間に心があるなんて一体誰が証明出来る?教室でお喋りしている生徒達、沢山の脳みそ、そのひとりひとりがゾンビじゃないと一体誰が証明出来る?今頭を抱えうずくまってわけのわからぬことをぶつぶつとつぶやき続けるこの私ですら、ゾンビではないと私は証明することが出来ない。心があるとしたら、一体どこだろう。脳みそなのか?いやしかし脳みそは脳みそで心なんかじゃない。脳みそを創るのは大人の仕事だ。私達の脳みそは所詮大人に作られたに過ぎない。ああ、大人はまだか?もう夜じゃないか。早く授業を始めよう。学びたい、世界の全てを。
突如激しい閃光が教室を包み込んだ。私は、条件反射でまぶたを閉じた。まぶたの裏側は白く染まり、私の両眼を焼き尽くすようだった。眼を開けて周りを見渡すと、みんながみんな、私と同じ40過ぎの中年になっていた。
AはBのチン毛が生え揃ったズル剥けのちんこをくわえていたし、城ヶ崎咲子は顔中の皺や染みを醜く歪ませて、相変わらず窓の外を見ていた。
ぼくは、教室を飛び出して職員室に向かった。教師達は、机にもたれて午後の紅茶を飲みながら話をしていた。
「A組の城ヶ崎さんって、暗いよね~」
「あー、わかるわかる。私あの子ニガテ~」
「でもああいう暗い子は、私達から個性を引き出してあげなきゃね~」
「ね~」
教室と同じ光景が、そこにはあった。
ぼくは絶望して、暗い廊下をただ歩いた。歩いて歩いて歩いて歩き続けた。それだけで人生が終わればいいと思った。歩き続けて人生が終わればいいと。
人生は旅だとよく言うじゃないか。全くその通りだ。人生は旅だ。休日になれば自分の家の周りをちょこっとうろつく、そんな小旅行だ。だけどそれだって旅だ。旅なんだ。大旅行なんだ。人間はめったなことじゃ地球からは出られないけれど、地球全体がまるで宇宙のようなので問題ない。問題ないんだ。それでいいんだ。そういうことを思いながら、ただぼくは暗い廊下をゆらゆらと歩き続けた。
隕石でも落ちてくればいいのになぁ。
そう呟いた直後、何かが地面にぶつかって砕ける音がした。城ヶ崎咲子が屋上から飛び降りたのだ。僕は屋上へ向かった。屋上では冷たい風がびゅうびゅうと音を立てて吹いていた。20m先の地面では、城ヶ崎咲子が血と肉に変わっていた。彼女の亡骸は、ただそこに横たわっていた。
そして空を見上げると、まるで夕闇のような色。もうすぐ夜が明けるのだ。風が頬を切る。これは朝の風だ。風は言った。
「気分はどうだい?」
「どうでもいい」
「何故?」
「この物語には、中身がない」
終了
働きたくない。だけど生きるためにはお金が必要だ。
「なんで俺こんなことしてんだろう」みたいな仕事はしたくない。そういう仕事を毎日毎日、ただ黙々とこなす社会人にはなりたくない。僅かでも充実感を感じていたい。
でも、今の日本はブラック企業がはびこるのが常ですよね。こわい。一週間のうち二日しか自由な時間がないってだけでもう信じられないのに、ブラック企業なんかに就職するくらいなら死んだ方がマシだ。
どこか違う国に行きたい。ヨーロッパの方。イタリアとか良い、ヴェネツィア行ってみたい。俺はロマンチストなので、イタリアかフランスに住みたい。イタリアかフランスで、優雅に余生を過ごしたい。
繰り返して言うけど、日常に追われて生きることを失うくらいなら、さっさと自殺した方がマシだ。安定なんてなんの価値もない。10代の頃の思い出を思い出して「あの頃は良かった」と遠い目をするようなおっさんには、なりたくない。
第一、趣味がゴルフとか釣りとか、暇な時間を持て余してるようにしか見えない。そういうのに命懸けてる人ってあんまりいないと思う。
俺は、人生に暇な時間なんて1秒もないと思ってる。いつもやりたいことがある。何もやる気がしなくて、ただぼーっと過ぎていく時間もたまにあるけど(そういうのは不意にやってくるので防ぎようがない)、でも、そういう鬱々とした時間を除けば大体俺は全力で生きてる。曲を作ったり、その曲を路上で歌ったりすることに命を懸けてる。少し大袈裟かもしれないけど、少なくとも俺はそう思ってる。
全力になれることがあって良かった。周りを見れば、やる気のない奴ばっかだ。そういう奴が悪いとは思わないし、「夢を持て」みたいなマッチョな思想を押し付けようなんて気はさらさらないんだけど、ただ俺はそんな人間にはなりたくない。
なんか、そういう社会的傾向なんだろうな。全力になれるものが何もないって悩んでる人は、結構いるみたい。それが「全力」を笑う風潮にも繋がってると思う。そういう社会に殺されなくて、本当に良かった。
俺は多分、運が良かった。神聖かまってちゃんや、ROCKと呼ばれる音楽に出会っていなければ、俺は今頃無味無臭のつまらない人間になっていただろう。
自己陶酔でも現実逃避でもなんでもいいから、情熱を持って生きたい。
やっぱ好きなことして生きていきたいなぁー。
ミュージシャン以外の未来が真面目に考えられない。就職とかしないと思う。少なくともこの国では。
まあ、「この国では」って言っても、俺はまだこの国のことについてあまり知らないから、外国に移住する前にそこらへんをちょっとは勉強しておこうと思う。
今んとこ、日本って外づらだけは良いよね、みたいなイメージ持ってる。
ブラック企業なんかに就職したら、勉強する時間なんて1秒も無くなるんだろう。それって絶対おかしい。勉強は一生続くものだと思うし、一生続けないと人としてどうなのかと思う。
ロボットみたいな人間になるくらいなら、渋谷のスクランブル交差点の真ん中で切腹してニュースになってやる。
多分、みんな疲れてるんだ。のんびりすることの気持ちよさを俺も知ってるから、趣味がゴルフと釣りのおっさんをあまり悪く言えない。
でも、俺はそれじゃだめだ。全力で生きられる奴は、精一杯全力で生きろ。
「お前がいなけりゃお金なんか持っててもしょうがないぜ」とは岡村靖幸の弁。
「なんで俺こんなことしてんだろう」みたいな仕事はしたくない。そういう仕事を毎日毎日、ただ黙々とこなす社会人にはなりたくない。僅かでも充実感を感じていたい。
でも、今の日本はブラック企業がはびこるのが常ですよね。こわい。一週間のうち二日しか自由な時間がないってだけでもう信じられないのに、ブラック企業なんかに就職するくらいなら死んだ方がマシだ。
どこか違う国に行きたい。ヨーロッパの方。イタリアとか良い、ヴェネツィア行ってみたい。俺はロマンチストなので、イタリアかフランスに住みたい。イタリアかフランスで、優雅に余生を過ごしたい。
繰り返して言うけど、日常に追われて生きることを失うくらいなら、さっさと自殺した方がマシだ。安定なんてなんの価値もない。10代の頃の思い出を思い出して「あの頃は良かった」と遠い目をするようなおっさんには、なりたくない。
第一、趣味がゴルフとか釣りとか、暇な時間を持て余してるようにしか見えない。そういうのに命懸けてる人ってあんまりいないと思う。
俺は、人生に暇な時間なんて1秒もないと思ってる。いつもやりたいことがある。何もやる気がしなくて、ただぼーっと過ぎていく時間もたまにあるけど(そういうのは不意にやってくるので防ぎようがない)、でも、そういう鬱々とした時間を除けば大体俺は全力で生きてる。曲を作ったり、その曲を路上で歌ったりすることに命を懸けてる。少し大袈裟かもしれないけど、少なくとも俺はそう思ってる。
全力になれることがあって良かった。周りを見れば、やる気のない奴ばっかだ。そういう奴が悪いとは思わないし、「夢を持て」みたいなマッチョな思想を押し付けようなんて気はさらさらないんだけど、ただ俺はそんな人間にはなりたくない。
なんか、そういう社会的傾向なんだろうな。全力になれるものが何もないって悩んでる人は、結構いるみたい。それが「全力」を笑う風潮にも繋がってると思う。そういう社会に殺されなくて、本当に良かった。
俺は多分、運が良かった。神聖かまってちゃんや、ROCKと呼ばれる音楽に出会っていなければ、俺は今頃無味無臭のつまらない人間になっていただろう。
自己陶酔でも現実逃避でもなんでもいいから、情熱を持って生きたい。
やっぱ好きなことして生きていきたいなぁー。
ミュージシャン以外の未来が真面目に考えられない。就職とかしないと思う。少なくともこの国では。
まあ、「この国では」って言っても、俺はまだこの国のことについてあまり知らないから、外国に移住する前にそこらへんをちょっとは勉強しておこうと思う。
今んとこ、日本って外づらだけは良いよね、みたいなイメージ持ってる。
ブラック企業なんかに就職したら、勉強する時間なんて1秒も無くなるんだろう。それって絶対おかしい。勉強は一生続くものだと思うし、一生続けないと人としてどうなのかと思う。
ロボットみたいな人間になるくらいなら、渋谷のスクランブル交差点の真ん中で切腹してニュースになってやる。
多分、みんな疲れてるんだ。のんびりすることの気持ちよさを俺も知ってるから、趣味がゴルフと釣りのおっさんをあまり悪く言えない。
でも、俺はそれじゃだめだ。全力で生きられる奴は、精一杯全力で生きろ。
「お前がいなけりゃお金なんか持っててもしょうがないぜ」とは岡村靖幸の弁。
大切なことを伝える度に何か大事なものを壊してしまったような気持ちになる。私は、それを積極的に壊していこうと思う。逆に。
なんか、俺はロックじゃない。
いや、今までロックに生きてきたつもりだし、これからもロックに生きていきたいと思うけど、やりたい音楽がロックじゃない。ガンガン行くより、作り込みたい。
なんかこう、心にじわじわ染み渡ってくるような文学的な音楽がやりたい。
谷山浩子みたいな方向性に近いかもしれない。最近谷山浩子ばっかり聴いているせいだろうか。テクノやりたいとか、ヒップホップやりたいとか、ロックにノイズ混ぜたいとか、やりたい音楽がコロコロ変わるのは、年齢のせいもあると思う。
とりあえず今は、フリーフォーク的な路線で行きたい。これは完全に、笹口騒音ハーモニカとか大森靖子とかその辺の影響。バンドアレンジ作るのめんどくさいってのもある。
谷山浩子の透明感のある曲が好き。
「まっくら森の歌」とか「冷たい水の中をきみと歩いていく」とか、透き通ってて、尚且つ恐ろしい。怖くはないけど恐ろしい。
ところで話は変わるけど、愛なんて別に崇高でもなければ高尚でもないと思うんだよ。ただ「あの子といると心地いいなぁ」っていう感情の延長線上にあって、突き詰めていけばそれ以上でもそれ以下でもないんだけど、それはそれ自体として神聖で神秘的で尊いものだと僕は思うんだよ。
あと全然関係ないけど、「いつものこと」って言って目を逸らすのは、一番だめな目の逸らし方だよね。
そして今岡村ちゃんを聴いてます。
この人絶対ヤバい人だと思う。何言ってるかわからないし意味不明。声がもう危ない。でも危ないくらいじゃないと面白くないですよね!!(あのキャァァイ!みたいな声どうやって出してるんだろう)
「モンシロみたいに直接花のひだに密接したいな」は名フレーズ。
愛に生きて愛に死にたい。貴公子のように。
ヨースタイン・ゴルデルの「マヤ」という本に、「ニヒリズムを消せるのは愛だけだ」みたいなことが書いてあった。
「世界が存在する。その可能性はかぎりなく不可能に近い。もしも、たまたま世界などなかったら、そのほうがはるかにしまつがいい。なぜなら、そうすれば、なぜなにも存在しないのか、たずねる者はいないから」
マヤ/ヨースタイン・ゴルデル
なんか、俺はロックじゃない。
いや、今までロックに生きてきたつもりだし、これからもロックに生きていきたいと思うけど、やりたい音楽がロックじゃない。ガンガン行くより、作り込みたい。
なんかこう、心にじわじわ染み渡ってくるような文学的な音楽がやりたい。
谷山浩子みたいな方向性に近いかもしれない。最近谷山浩子ばっかり聴いているせいだろうか。テクノやりたいとか、ヒップホップやりたいとか、ロックにノイズ混ぜたいとか、やりたい音楽がコロコロ変わるのは、年齢のせいもあると思う。
とりあえず今は、フリーフォーク的な路線で行きたい。これは完全に、笹口騒音ハーモニカとか大森靖子とかその辺の影響。バンドアレンジ作るのめんどくさいってのもある。
谷山浩子の透明感のある曲が好き。
「まっくら森の歌」とか「冷たい水の中をきみと歩いていく」とか、透き通ってて、尚且つ恐ろしい。怖くはないけど恐ろしい。
ところで話は変わるけど、愛なんて別に崇高でもなければ高尚でもないと思うんだよ。ただ「あの子といると心地いいなぁ」っていう感情の延長線上にあって、突き詰めていけばそれ以上でもそれ以下でもないんだけど、それはそれ自体として神聖で神秘的で尊いものだと僕は思うんだよ。
あと全然関係ないけど、「いつものこと」って言って目を逸らすのは、一番だめな目の逸らし方だよね。
そして今岡村ちゃんを聴いてます。
この人絶対ヤバい人だと思う。何言ってるかわからないし意味不明。声がもう危ない。でも危ないくらいじゃないと面白くないですよね!!(あのキャァァイ!みたいな声どうやって出してるんだろう)
「モンシロみたいに直接花のひだに密接したいな」は名フレーズ。
愛に生きて愛に死にたい。貴公子のように。
ヨースタイン・ゴルデルの「マヤ」という本に、「ニヒリズムを消せるのは愛だけだ」みたいなことが書いてあった。
「世界が存在する。その可能性はかぎりなく不可能に近い。もしも、たまたま世界などなかったら、そのほうがはるかにしまつがいい。なぜなら、そうすれば、なぜなにも存在しないのか、たずねる者はいないから」
マヤ/ヨースタイン・ゴルデル
最近また谷山浩子を聴いている。ちょうど去年の今頃、馬鹿みたいにハマって毎日のように聴いてた。
昔ハマってた音楽を久しぶりに聴くと、なんだか懐かしい匂いがする。ただの懐かしさじゃなくて、匂いが漂ってくる。どこからともなく。懐かしいという感覚は、匂いと密接な関係にあるのかもしれない。そういう話をどっかで聞いたことあるような気がする。と思ったので、wikiってみた。
「近年の医学領域における様々な研究成果により、匂いは他のの感覚とは異なり、大脳辺縁系に直接届いていることが明らかになった。その大脳辺縁系は「情動系」とも呼ばれており、匂いは人間の本能や、特に感情と結びついた記憶と密接な関係がある、と指摘されている。つまり匂いはもっとも感情を刺激する感覚なのだとされているのである」
なるほど。いや知ってたけど。
匂いって死ぬほど素敵ですよね。俺は中学の時から女の髪の匂いに深い憧れを抱いていた。昔作ったしょーもない歌の歌詞にも、よく「君の髪の匂い嗅ぎたい」みたいなフレーズが出てきた。寂しくて挫けそうな夜には、布団の中でひとり、女の子を抱き締めて髪の毛に顔をうずめる妄想をしては、身悶えしながら余計挫けそうになってた。シャンプーの香り、とかよく言うけど、なんか、あぁ、切ない……。シャンプーの香りは青春の香りだと思うんです。青春の爽やかさと、恥ずかしさ、臭さ、気持ち悪さは紙一重ですよ。振り返らないことが大事。我に返った瞬間に死ぬから気を付けろ。死なないためには駆け抜け続けるしかないんです。
俺が君とセックスしたいのは決して性欲のためなんかじゃないんだなんて言うと君は訝るかもしれないが、本当なんだ、信じてくれよ……!
俺だって昔は思ってたよ、愛のあるセックスなんて存在しないと、セックスなんて所詮動物のやることだと、童貞の僻みを抜きにしてもそう信じていた。だけど……だけど違うんだbaby、俺は君とセックスする場面を想像しても最早全然勃起しない……むしろ神聖な気持ちに包まれるのさ!!
「完全なる飼育 香港情夜」という映画を見て「愛のあるセックスはなんて神聖なんだ」という感想を抱いたことに誇りを持って俺は性春を駆け抜けるよ!!!!
青春は!!青春は駆け抜けろよォ!!駆け抜けない青春なんて青春じゃねぇよ!!ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
昔ハマってた音楽を久しぶりに聴くと、なんだか懐かしい匂いがする。ただの懐かしさじゃなくて、匂いが漂ってくる。どこからともなく。懐かしいという感覚は、匂いと密接な関係にあるのかもしれない。そういう話をどっかで聞いたことあるような気がする。と思ったので、wikiってみた。
「近年の医学領域における様々な研究成果により、匂いは他のの感覚とは異なり、大脳辺縁系に直接届いていることが明らかになった。その大脳辺縁系は「情動系」とも呼ばれており、匂いは人間の本能や、特に感情と結びついた記憶と密接な関係がある、と指摘されている。つまり匂いはもっとも感情を刺激する感覚なのだとされているのである」
なるほど。いや知ってたけど。
匂いって死ぬほど素敵ですよね。俺は中学の時から女の髪の匂いに深い憧れを抱いていた。昔作ったしょーもない歌の歌詞にも、よく「君の髪の匂い嗅ぎたい」みたいなフレーズが出てきた。寂しくて挫けそうな夜には、布団の中でひとり、女の子を抱き締めて髪の毛に顔をうずめる妄想をしては、身悶えしながら余計挫けそうになってた。シャンプーの香り、とかよく言うけど、なんか、あぁ、切ない……。シャンプーの香りは青春の香りだと思うんです。青春の爽やかさと、恥ずかしさ、臭さ、気持ち悪さは紙一重ですよ。振り返らないことが大事。我に返った瞬間に死ぬから気を付けろ。死なないためには駆け抜け続けるしかないんです。
俺が君とセックスしたいのは決して性欲のためなんかじゃないんだなんて言うと君は訝るかもしれないが、本当なんだ、信じてくれよ……!
俺だって昔は思ってたよ、愛のあるセックスなんて存在しないと、セックスなんて所詮動物のやることだと、童貞の僻みを抜きにしてもそう信じていた。だけど……だけど違うんだbaby、俺は君とセックスする場面を想像しても最早全然勃起しない……むしろ神聖な気持ちに包まれるのさ!!
「完全なる飼育 香港情夜」という映画を見て「愛のあるセックスはなんて神聖なんだ」という感想を抱いたことに誇りを持って俺は性春を駆け抜けるよ!!!!
青春は!!青春は駆け抜けろよォ!!駆け抜けない青春なんて青春じゃねぇよ!!ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ

